アメリカ留学は、その当時(1985年頃)、高田馬場にあった「文際交流センター」を通して行った。今でもあるのかな?、と思ってネットで検索すると、あった!名前が変わって、「文際交流協会」となっているようだ。
交流センターでは、一年間、アメリカのホストファミリーの家庭に入りながら学生生活を送ることになっていた。出発当日、集合場所の箱崎に着くと、他の日本人学生も沢山いた。彼らは、日本の大学に在籍中で一年間の留学生活のあと大学に戻るというのがほとんど。
服装を見ると、Tシャツとジーパンのいでたちの人や、白のブレザーでビシっと決めているのも何人かいた。みんなの気持ちがウキウキしているのが体全体からこっちにも伝わってくる。
午後六時、箱崎からリムジンバスで一時間ほど揺られながら成田に到着。いよいよ午後7時。成田からシアトルへ出発。生まれて初めて飛行機に乗った。離陸のとき、自分の体がふわっと浮き上がるような感じがしたかと思うと、今度は飛行機が何か一生懸命上に「上がろう、上がろう」と努力しているようで可愛かった。
夜7時成田を出発し、真夜中の12時になると、もう夜が明けてしまった。時差が15時間ある。そして、とうとう朝3時(日本時間)シアトルに着いた。飛行機から降りてもアメリカの土を踏んでいるとは実感として湧いてこなかった。やはり、周りは皆んな日本人で日本語を使っているせいだろう。
シアトル空港で入国審査を受けた。Tatsujinは、日系人らしい中年男性の担当の人にパスポートと大学入学許可証のI-20を手渡す。その人は、I-20をジッと見ながら低い声で「しっかりやれ」と日本語で言ってくれたのが内心うれしかった。
そのあと、シアトルのエアーターミナルで待っていると、外から十代後半の若いアメリカ人が2人空港に入ってきた。一人は上半身真っ裸。こんな光景は、日本では考えられなかったので目を見張った。
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